仕事

僕がサラリーマンを辞めた理由



こんちわ、クロです🐈

令和2年10月30日、税務署に開業届を出し、サラリーマン生活に終止符を打ってきました。


これでサラリーマン生活とはお別れ。

良くも悪くも「自由」を手にしたわけです。

ここから先はどんな失敗も自責にしないと滅びる世界、やっと自分の人生を生きることになりました。


今回は「なぜ僕がサラリーマンを辞めたのか」について綴っていこうと思います。


企業が責任を負うから「自分」でいられない



サラリーマンは「指示に従うこと前提」のお仕事です。

指示に従うという時点で、周りと同じ仕事をし、似通った成長過程を強いられます。


そのため、自身で創意工夫しようとしても、それが上司に認められなければ自由に動けません。

なぜなら「自由」というのは「全て自分で責任がとれる状態であること」を指すからです。


会社員として業務を遂行する際、責任を強いられるのは個人ではなく会社です。

企業が責任を負い、個人は企業に守られながら日々を過ごします。


よって、企業が責任をとる以上、契約内容に相違がないのであれば「労働者は使用者の所有物」と考えることは残念ながら自然なことなんです。

労働基準法では使用者と労働者は対等だとされていますが、そんなわけはないんですよ。


自由を欲するなら、自由を与えられるぐらい社内で力を持たなければいけませんし、その権利を得るには何十年も会社に属さないといけない。


それはめちゃくちゃ非効率なことだと思うんです。


社員に求められるのは演技力



組織が大きくなればなるほどに、末端に求められるのは「演技力」になります。

不当な扱いを受けても、非効率な作業と分かっていても、場を乱してはいけません。


モヤモヤした気持ちでも、それを外に出さない。

オカシイと思っても、軽々しく決定に異論を唱えない。


それが一般社員に求められる素養なんです。


優秀な社員は本部に引き抜かれ、現場には安定的な作業を求める人が残っていきます。

売上を上げようとか、システムを見直そうとか、そういう取り組みが欠如した安定志向の人材が現場に溢れると、社長のビジョンは行き届かなくなる。

人件費削減のためにパートや契約社員を増やすとさらにその動きは顕著になり、無駄の多い組織になっていく。


自分の利益を守るために、空気を読み合う人で溢れ、無駄な演技で心身ともに疲弊します。

「利益を上げさせたい店長」と「契約以上の仕事は金銭的に割にあわないパート」


そんな状況を作り出す経営陣、その板挟みにはなりたくないんですよね…


社長の顔が見えない



仕事は人とするものです。

それなのに代表者である「社長」の顔が見えない企業がまぁ多い。


労働者は自分や家族の生活を守るために働いています。

正直、金さえもらえればどんな社長の下で働くかなんてどうでもいいんですよ…

このことから、誰かもわからない人のために必要以上に頑張ろうなんて思えないのは至極当然のことなんです。


ビジョンの共有もなければ、利益を上げても待遇や賃金にすぐに反映されるわけでもない。

労働者側の立場から言わせてもらうと…


時間を売って作業するぐらいの価値しかない!!


実際に語り合ったり、一緒に仕事したり、オフに釣りやキャンプに出掛けたり…

そういう何かしらの繋がりがないのに、その人のために一生懸命働こうなんて誰が思えるんでしょうか?



会社でいう管理職は「社長の器」を持った人であるべきです。

社長の顔が見えない時点で、その人を慕って社員はついていくしかないんです。


逆を言えば、社長はそんな管理職に認められる存在でないといけません。

社長の顔が見えない企業というのは、時代遅れかと思います。


管理職の多くは仕事を履き違えている



管理職は人材育成の要です。

その仕事は社員を戦力化することであり、社員が成長できる環境を整えることが最も大切です。

それにも関わらず、自分の働きやすさや待遇面を気にしすぎる人がまぁ多い。


指導する立場にある人が自身の影響力は全く理解していないわけです。

できない人に対し、それをその人だけのせいにして、原因を考えようとしない。

社員の悩みの多くは共通点があるのに、それを探ろうともしない。


そんな怠惰な管理職が日本には溢れています。


みんなと日常的にコミュニケーションをとることは管理職にとって最も重要な仕事であり、それが日頃からできていないと社員は素直に意見を言うことができないもんなんです。

意見を吸い上げることができないから人が辞めていき、その結果、採用に無駄なコストがかかり、会社の成長も遅れていく。

管理職の器を持っている人が圧倒的に少ないために、日本の労働環境は一向に良くならない現状があります。

利益を出そうとする前にやるべき仕事があります。

あなたについてくる部下はどれほどいますか?


他責にしてしまえる環境



サラリーマンであり続ける以上、「誰かのせいにしてしまう習慣」は抜けません。

アイツが悪い、コイツがいるから、これが会社の方針だから、そんなものはアナタがそこにいるから起こっていることです。

それが気に食わないのであれば、辞めればいいんですよ。


でも、実際は辞めたくてもしがみつくしかない。

家族を守るためには不当な扱いを受けても、続けるのが理想的だと思っているんです。


だから別のところに楽しみを見出し、週末のために働く。

もうやりがいなんて微々たるものですよ。


これは理不尽なことですけど、世の中騙される方が悪いんです。


僕も契約詐欺を幾度となく経験してきました。

無知で信じては裏切られ、頑張っては搾取され、世の中の仕組みを理解しないままに何度も信じて信じて裏切られてきました。

騙されたことが少ない人は騙す方が悪いと考えるかもしれませんが、何度も騙されていると「騙されている方が悪い」と考えざるを得なくなります。


なぜなら、それは自分が招いたことだからです。

それに対して文句を言ったところで、自分を否定することにしかならないんですよ。


だから、そんな嫌な想いをしたくないなら、全て自分の責任だと考えるのが精神安定上もっともラクなんです。

全ての責任は自分にあると考えたいと思ったら、サラリーマンという環境は危険だと思ったわけです。


【結論】「仕事」=「働く」



時間は平等には与えられていません。

1日を24時間と勝手に決めつけているのは僕ら自身です。


トータル的に見れば、生まれて死ぬまでがその人の時間であり、その期間の使い道を選べることが「生きている」ということのような気がします。

そう考えると、働く・働かないという考え方はナンセンスで、「人のために動く」という発想に変えた方が理にかなっているように思います。


『仕事』は仕えることを指します。
『働く』は人が動くことを指します。


『仕事』=『働く』


そうであるならば、人が誰かのために動くのなら、それは仕事になるということ。

つまり、仕事は自分のためにするものじゃないんです。


自分が儲けたいからとか、自分の安定がほしいからではなく、誰かを幸せにすることが仕事なんだと思います。

だから、サラリーマンは世の中に素晴らしいサービスを提供することが仕事であり、会社の利益を上げることが目的ではない。

社長の本来の仕事は、社員に適正な給料を払うこと、それを受けた社員が社会に貢献することが理想的だと考えられます。



社長は管理職を育て、管理職は社員を育てる、社員は社会に貢献する。

結果として、利益が生まれる。

それが『仕事』あるべき姿のように思うんです。


だから、社長だろうが正社員だろうが、契約・派遣・バイト…そんなもんは何の関係もない。

ロボットだろうと関係ないんです。

会社の意に添わなくても、それが誰かのためになるなら、どんなことにも意味はあるように思います!!

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